
って思ったあなたに向けてこの記事を書いています。結論、「生琉里」は「ふるさと」と読みます。ふるさとってあれですよね、うさぎおいしかのやま〜のふるさとしか思い浮かべないですよね。何がどうなってふるさとって読むようになったのか・・・。
ということでこの記事では難読地名の一つ、「生琉里」にスポットを当てて話を進めています。読み方のほか、この地名の意味・由来・語源だったりも気になってきたという方もいらっしゃると思いますのでそのあたりも記載しております。合わせてご確認くださいませ。
生琉里の読み方は何?地名の由来・意味・語源も合わせて確認!
生琉里の読み方は?→「ふるさと」です。

- 「生琉里」の読み方:ふるさと
- 生琉里の場所:奈良県奈良市、三重県伊賀市等

おお、さすが関西人。生琉里という地名の場所は三重県だったり奈良県だったりで確認できています。
で、「生」を「ふ」と読ませるのを見ると百人一首の歌を思い出します。
浅茅生(あさぢふ)の
小野(をの)の篠原(しのはら)
しのぶれど
あまりてなどか
人の恋(こひ)しき
引用元:小倉百人一首 (39)
浅茅は丈の短い芽のことで、「生(ふ)」は草木が生えている場所の意味です。「生琉里」の「生」も同じ意味かな?

その件なんですけど、天理教の件が関係しているようです。
生琉里の地名の意味・由来・語源は?
- 生琉里(ふるさと)の由来・語源:天理教の満州国入植の際に名付けられた集落名「生琉里」が由来。

歴史の話になっちゃうんですけど、中国の東北部には戦前、日本の傀儡国家(事実上日本の支配下)の満州国(1932年 – 1945年)が存在しました。で、日本としてはその満州国に多くの人を呼ばなきゃいけないということで移民を募集したんですね。その一環で、奈良県の天理教も参加して「生琉里」という集落名がつけられました。
そして終戦を迎えて、満州の生琉里の住民が日本に戻ります。その場所が奈良や三重だったと。そこで日本にも「生琉里」という地名が生まれたという流れではと。

これはもうはっきりとはわかっていないので、ここからは推測です。
まず無難に考えると「ここを第2の故郷とする」意味を込めて「ふるさと」という読みにしたのかなと。ただしどうして「生琉里」という漢字にしたのかはなんとも言えないです。「生」は素直に考えると、移民先の場所が「草木の生い茂る場所」だからこの漢字をつけたのかと思われます。次に「琉」ですが・・・・・
そうですそうです。あと細かく見ると、琉の字の左部分の部首、これは「おうへん(またはたまへん)」と言いますが宝石や球を表します。満州国の生琉里は丸い形をしていたのでしょうか。

推測ですしね、仕方ないね。
まとめ
生琉里の読み方は何?地名の由来・意味・語源も合わせて確認!と題してお送りしてまいりました。
ということで、この記事のまとめはというと
- 「生琉里」の読み方:ふるさと
- 「生琉里」の由来・意味・語源:天理教の満州国入植の際に名付けられた集落名「生琉里」が由来。
こんな感じになりました。
難読地名は日本全国にたくさんあります。今後もいろんな難読地名をとりあげていけたらと思っておりますのでもしよろしければお付き合いください。
難読地名シリーズ(関連記事)
北海道
東北地方
近畿地方