みなさんこんにちは。
さて、今回ご紹介するのはこちら「沢田真一」さんについてです。

いえいえ、あかうさりんにとってはある意味縁のある人なんですよ。
というのもこの沢田真一さんは野球部の監督でして甲子園出場の常連校に育てた名将なんです!

はい、物凄く有能な人材であることは間違いないのですが少しご説明が必要でして。

詳しくは今から語ろうと思います。今回は「沢田真一(盛岡大付属高校野球部元監督)の持つ甲子園記録が凄い!」についてです。
沢田真一さんについて
ではまずこの沢田真一さんについて改めてご紹介しておきましょうか。
沢田真一さんは上記の通り盛岡大付属高校の元野球部監督を務められておりました。1991年に野球部監督に就いてから1995年に甲子園出場を決めます。

はい、その後沢田真一さん体制の盛岡大付属高校は春と夏を合わせて「7回」も甲子園出場を決めています。
※7回の内訳:6回が夏の甲子園大会、1回が春のセンバツ。詳細は後述。

沢田真一の持つ甲子園記録とは?
えっとですね、ここからが本題になると思うのですがまずはこちらをご覧ください。
1 風吹けば名無し 2012/08/09(木) 19:48:29.48 ID:iq6SH0871995夏 盛 岡 大 付 ● 5-7 高 知 商(高知)※高知商は次戦で敗退
1996夏 盛 岡 大 付 ● 0-2 東 筑(福岡)※東筑は次戦で敗退
2001夏 盛 岡 大 付 ● 1-4 近 江(滋賀)※大正義近江は準優勝
2003春 盛 岡 大 付 ● 0-10 横 浜(神奈川)※大正義横浜は準優勝
2003夏 盛 岡 大 付 ● 6-8 福 井 商(福井)※福井商は3回戦で敗退
2004夏 盛 岡 大 付 ● 2-15 明 徳 義 塾(高知)※明徳義塾は3回戦で敗退
2008夏 盛 岡 大 付 ● 3-8 駒大岩見沢(北北海道)※駒岩は次戦で智弁にフルボッコ敗退
2010春 盛 岡 大 付 ● 4-5 中京大中京(愛知)※中京はベスト8で敗退
2012夏 盛 岡 大 付 ● 4-5 立正大淞南(島根)←New!!

結論から申しますと、沢田真一さんの持つ甲子園記録。
それは
「連続初戦敗退」の甲子園記録(7回連続初戦敗退)なのです。
(上記引用部分の赤字が沢田真一さん体制を指します。)

沢田真一さんを襲ったバッシングの嵐と現在
甲子園に出場するという事でも大きな功績ですが注目を集めるとそれだけバッシングを受けてしまうのもある意味の宿命です。
沢田真一さんは1995年の初戦敗退時にそれはもう各方面からのバッシングに遭ったそうです。

反省をするのは当たり前じゃないかという声もあがりそうですが、逆に言うとそれだけ心に傷を負ってしまったために敗戦の反省もままならなかったのではないでしょうか。


そもそもこの記録は県予選を7回連続で勝ち抜かないとそもそも達成することが出来ません。
失敗するという事は決して無駄じゃないと思うんです。甲子園という夢の舞台にそもそも立ったからこの記録が生まれた、そう解釈すべきです。


まとめ
沢田真一(盛岡大付属高校野球部元監督)の持つ甲子園記録が凄い!と銘打ちまして記事を進めてまいりましたがいかがでしたでしょうか。
まずは恒例の締めのまとめに参りましょう。
■沢田真一(盛岡大付属高校野球部元監督)の持つ甲子園記録は「「連続初戦敗退」の甲子園記録(7回連続初戦敗退)」
■沢田真一さんと高校の持つ7回連続初戦敗退は不名誉な記録じゃない!むしろ誇るべき記録!
こんな感じでしょうか。
沢田真一さんは監督として色んな思いがあったと思います。このような経験ってまず誰でも出来る事ではありません。
だからこそ見えた事、だからこそ言いたいことが上述の本「甲子園の負け方、教えます」には含まれているのです。
野球関係者だけの本ではなく、何かを頑張っている人向けの本だと思いますので気になった方はぜひチェックしてみてくださいね。
それでは今回も最後までお読みいただきどうもありがとうございました。
また次回の記事でお会いできることを楽しみにしています。
ではでは。